宮司 黒田和朗
禰宜 黒田泰史
笠原神明宮は、鎌倉後期に社殿が整えられたと棟札に記されています。
また昔話に、10月の例祭には近隣より200頭余りの馬が祈願に参ったと伝えられています。
今は自動車やインターネットの時代、ここに当宮の公式ホームページを開設致しました。お読みの上、御神縁を得てお参り下さい。
笠原神明宮鎮座の笠原町は岐阜県南東部に位置し、北部は多治見市、北東部は土岐市、南西部は愛知県瀬戸市に接している。笠原の町名は愛知県江南市前野文庫「武功夜話」に十二世紀後半の記事として「美濃国土岐郡笠原牧」の名が初見される。降って江戸期以降隣接する土岐市妻木町(城下町)或いは瀬戸市との所領争等に見られる程度であるが、町内には、当宮北西約百五十mに七世紀前半築造の狐塚古墳があり、嘗て陪塚二乃至三基があったと伝わる。
同古墳出土品には、東濃地域では例を見ない刀剣柄頭の双龍文環頭の他、勾玉(まがたま)、金環数点が発掘されている。町内には古御所・厩ヶ洞(まやがほら)・泥障懸(あおりかけ)・木曽畷(なわて)・上神戸・下神戸等字名があり、往古の地勢風土を色濃く偲ばせている。
当宮創建については、寛政五年(一七九三)七月御炎消とあり、棟札その他殆ど消失、同六年八月再建。再建棟札に「抑当社と申し奉り候者今年迄凡そ四百数十歳以前近江国養界聖人此の所に始めて神明宮を建立し給ひ」とあり、推考するに南北朝頃に社殿が創建されたものか不詳である。江戸期以降の棟札から本殿・末社葺き替えが繰り返され、昭和三十四年九月伊勢湾台風により甚大な被害を受け、本殿裏の杜が壊滅、社殿への被害大きく、氏子浄財により昭和四十六年四月二十六日、鉄筋コンクリート造社殿に再建。同六月十九日、伊勢神宮より御神宝下賜。昭和六十一年十一月二十日、社名を「笠原神明宮」に改称。現在に至る。
9月 御鍬祭
10月 例祭
12月 かがり火